魔女

恋は、美しいものだろう。人が人を愛すことは、何にも変えがたい大切なことだ。

 

ただ時々、人は恋心に脅かされる。仮に男がある女に対して恋心を抱いたとき、そして更に恋心に脅かされてしまったとき、男は女のことを『魔女だ』と言うだろう。魔女というのは、魔法を使う女のことで、「脅かされる」状況のもとでこの言葉を使った以上、それはある種の恐ろしさを含んでいる。

 

注意しなければいけないのは、女がよっぽどハッキリした行動原理の持ち主でない限り、男がアホな勘違いで、そう思っていることがほとんどであるということだ。女の側は完全に普通通り振舞っているつもりでも、好いてしまっている男からしてみれば、それが引き金となって女を魔女だと思ってしまう節がある。

 

男は女を飯に誘う、遊びに誘う、何かにつけて一緒にいたがる。誘ってみてokがどうかは、先方の都合次第もしくは、先方の男に対するイメージ次第だ。ちょっとまず、後者について述べておく。もし男に対して悪いイメージ(ダサい、キモい等)を持っていると、例え都合がつこうとも一緒に行く気にはなるまい。もしそうでなかったら、特にイメージを持ってないとかあわよくば好きであるとかになるわけであるが、こんな時はほとんど都合如何で決着がつく。こういうわけだから、次のような状況が現れる。

男は女を、ある日付の映画に誘う。

   女は、ある友達に、その日付で遊ぼうとの旨伝えしことなりけり。しかしその友達、仕事のせいか、メッセージの通信の少しばかり遅れがちなる人で、女はその返答まだ貰えずして待っている。

したがって男は、そのことを知らされ、女とその友達の予定如何の決着を待つこととなる。長い間待つ。

   女の決着如何の知らせはない。しかし突然にして、女より、その日髪を切ったとの知らせあり!これいかにぞやと思ひつつ、調子に乗った返信をする。女、その調子に乗り合わせ、己の姿見を差し出す。

これ、天下一級の美しさなりけり。男、ひっくり返り、なんとかこの感情を伝えむと、!マークを多く添え、感嘆の意を表す。

そのまま女より返信なく日が過ぎる。

・・・

時はその日付となり、未だ音沙汰ないため男は悶々としていた。

   女より返信あり。その友達の仕事が早く上がれば遊びに行ける、つまりその場合に男との映画の話はおじゃんとなる、との旨。

即ち男、さらに悶々とし、その友達の仕事が遅くなれば!その女と映画に行けるのに…などと未だ行けるか行けぬかの狭間で身を凌ぐ。その女の美しき姿の見れる見れぬの狭間で悶える。

時刻迫る。女より返信なし。

時刻きたる。女より返信なし。これより決着は自動的、女およびその友人は都合つき、結局その2人で遊びたる。

男、燃え尽きぬ。

などとまあ、こんなことがある。これをどう解釈するか、に尽きるが、これで男が女のことをどのようにして魔女と呼ぶに至るかを探ってみよう。

 

まず注目すべきは、女より髪切りの情報を男へ与えたことだ。先に、女の男に対するイメージの話をしたが、仮に女が男に悪いイメージを持っていたとしてこんな事を果たして伝えるだろうか。そうとは到底思えない。しかも己の写真を送ったというのだからこれは上の主張のだめ押しになる。ここまででまず、男は女に対して安堵の念を抱く。俺のことを、嫌いではない、と思っている。次いで写真の件だから、なんなら女はその姿を見て欲しいと思ってるんでないのかと、男はきっと思う。これが勘違いである可能性は大だが、安堵の上にこの状況が加わると心境は完全なる信頼へと変わるのだから、まったく不自然なことではない。

 

そんな時に、突然の音信不通。友達と遊んでくれるのは何にも問題はないのだけど!一本くらい、一本くらい謝りの連絡を!と、半分は怒り、半分は裏切られたような哀しみに襲われる。それでいても男は、その前に送られてきた美しい姿と、無邪気な髪切りの報告に、胸を奪われている。

心の表面では裏切られている心地なのに、深い部分、いや、「悪いようになんて思ってない、多少は心を寄せて思ってくれているはずだ」という、良いように良いように考えるthe期待に支えられた確信は、揺るがない。

この、心の2つの部分の捩れは極めて大きい。なんなら無限大の捩れだ。男はこれにどう対処して良いかわからない。したがって最後の逃げ道として、女を『魔女』だと思う。俺を惹きつけておいて俺を哀しませる。俺は苦しい。だから、女は魔女だと。

 

先にも行ったように、女がよっぽどハッキリした行動原理の持ち主でない限り、女への恋心に落ちた男の大半はアホな勘違い野郎になっている。男が悲しむ原因となった、返信が遅かったり大事な一報が無かったりしたのは確かに女の不手際なのだが、彼女にとってはこの作業の重要性がさほど無かっただけなのかもしれない。

しかし。男がアホな勘違い野郎であることに、完全なる罪はない。むしろそうであって美しいと思うことさえある。男が女に振り回されるのは、もしかしたらいつの世もあるのかもしれない。好きであれば、女のことを第一に思った上で、しっかりと追いかければ良いだけのことだろう。理性にとらわれなさるな。本能に問いかけろ。それが男の使命だ!