やりたいことの見つけ方

やりたいこと

が、あるかどうかで人生の色はだいぶ変わってくる。あるとdramaticに、無いとflatになるだろう。やりたいことがないと、向上心など生まれない。きっと明日は今日と全く同じである。そしてその1日を人生が終わるまで繰り返す。

今生きている人間全員がやりたいことを持っているわけではないだろう。仕事でさえ、金さえもらえれば良いという了見で続けている人も少なくないはずだ。

 

同時に、やりたいことを探すことは困難を極めるだろう。言ってしまえば、やりたいことなんてそのへんに転がっているわけではない。これは自分で掘り出すものである。どうやったら、やりたいことを見つけられるだろうか。

 

まず、なんでもいいからやってみる。人がやってることでも何でも、少しでも楽しそうと思ったことをかじってみる。それから大事なことは、かじったものを離さないこと。何かを始めたときは大抵楽しいものだが、しばらくやっていると必ず壁にぶつかる。ここで折れて離れていってしまう人が多すぎるのだよ。壁を幾度となく乗り越えていってこそ、自分のやりたいことが見え始める。壁を乗り越えることがやりたいことではない!乗り越えたずっと先にやりたいことが見え始めるものなのだ。

 

その過程で何が起きているかというと、自分との戦いである。自分という生き物は、すぐにflatへ逃げようとする。起伏の多いdramaticの道からは外れようとする。この傾向をいかに食い止めるかは、それこそ自分との戦いである。精神力である。

 

注意しておかなければならないことがある。すぐ上で、自分との戦い、と書いた。しかし、なりたいものやりたいことが燦然と目の前にあると、そんなこととは遥かに違う次元の情熱が沸き起こり、自分が奮い立つことがある。そのようなときは、まあ、それこそドラマのようなものだが、何も考えなくてもただ一心に突き進むことができる。しかしこのようなことは、稀であると思う。

 

やりたいことを見つけるために、自分探しの旅をする人がいる。自分探しの旅の本質は、どこかに行くことではなく自分と戦う時間を設けることにあるのだ。

 

やりたいことはそのへんには転がっていないが、きっかけはそこら中に散らばっている。そこら中にある雑草を見て、楽しそうと思えるかどうか。これは好奇心でしかない。楽しそうと思えば、そこから地中深くは掘り進める。汗をかきながら掘り進めるうちに、宝石にぶつかるのである。