変な話

僕は、乃木坂46を応援している。一昨年、2016年の3月下旬からだ。一番初めに乃木坂と出会ったのは、ケータイの画面で見た白石麻衣さんの画像だった。その美しさに驚いた記憶がある。

それ以来、乃木坂46にはずいぶんお世話になった。鬱屈とした時には、曲を聴いたりテレビや紙面で彼女らの頑張る姿を見たりして、癒しや活力を得た。握手会にも行った。1回目は2016年の7月個握北野日奈子、2回目は同11月同与田祐希である。モノホンのアイドルの美しさたるや、想像をはるかに超えるもので、とても平静を保ってはいられなかった。

 

さて、乃木坂のエース、西野七瀬さんが今年いっぱいで卒業される。この頃は映画やテレビドラマで主演を張ったり番組でMCをやったりと、ソロでの活躍も甚だしい。そのような経緯もあって、これからは乃木坂という場を離れて女優、タレントとしての活動に専念するという選択を取るに至った…と考えることは一理あるだろう。

もちろん、彼女の仕事に対する姿勢や美容等に対する意識は、彼女の努力の賜物があってこそ構築され完成されてきたもので、その結果として今の彼女があることは間違いない。そのためには私たちに見えないところでの相当な苦悩や労力を要したはずである。

 

彼女の魅力、というとなんだか僕が彼女のことをよく見知った人間のような言い方で少しおこがましいが、たしかに彼女には魅力があって、それが人々を惹きつけているのには違いはない。まず、彼女にはやはり、芯が見える。むしろ、ぶれない様がある、といったほうがいいかもしれない。人に物を言われてオロオロしたり、コロコロとどちらにも転げ落ちそうな頼りない発言をしたり、少なくとも僕の見た今までの彼女には、そんな様子は伺えなかった。次に、彼女には妙な儚さがある。あまりたくさん喋るでもなく派手な何かがあるわけではないが、端麗な顔つきとスタイルにあいまって、まるで透明な飴細工のような儚さを持っていた。

 

長々と堅苦しい話をしてしまったが、今回は何が言いたいかというと、西野七瀬さんの夫たる人物についてである。卒業はすなわち恋愛禁止からの解放を意味する。また、どこかの雑誌の紙面で見たことであるが、彼女自身、結婚というのを意識する場面も少なくないという。

つまり、あと数年のうちにきっと彼女は恋愛を経て結婚をし、またその幾らか後に子を設けるかもしれない。

そんなことを考えしまうと、あの儚く美しい彼女がいったいどんな家庭を設けるのかということに、全く門外漢ながらひどく気を揉んでしまうことがある。

僕が彼女と出会う確率など、9割9部9厘もないだろうに。

でも何かしらの拍子で僕のようなのが西野さんと場を共にする機会だってあるかもしれないじゃないかと、血迷ったことを思わなくもない。科学のいいところはすべての現象について確率がゼロであることはないと見ることで、都合よくそんなことを持ち出して、僕が彼女と付き合う可能性もゼロではないじゃないか!と胸張って言うこともできてしまう。

 

サンタクロースに頼んでみようじゃないか、西野七瀬さんとどうか一度でいいから会う機会を、と。