悲しみ

私は、生きていると幸せと悲しみを感じる。苦しいことは、幸せだけを感じる瞬間が少ないことで。昔は、1つのことだけ考えて生きていけた。1つのことだけで幸せがあり、悲しみがあった。だから、幸せな時はとことん幸せだったし、悲しい時はとことん悲しかった。

 

今は違う。

 

今は、いくつものことが同時進行で進む。それぞれの場所では、異なる人たちと、異なる環境で接しなければならない。

 

ある場所で悲しいことがあっても、他の場所では普通でふるまわなければならない。ある場所で幸せになっても、他の場所では悲しいことが起きることもある。

 

こんなことでは、とことん幸せになったり、とことん悲しみにくれたりすることができない。ある場所で幸せなことが起きても、頭のどこかで別な心配事が渦巻いている。

 

これに、不幸だなあと思うことがある。

 

とことん、感じたい。

夜の灯火

ため息が漏れる。夜は半ばを過ぎ、そろそろ眠りにつかなければなるまい。息は静かに、空気はしんとしていて、我が身はこのまま消えていきそうだ。

 

自分がこの世に生を受けたことについて、その理由や意義を考えようとすることはきっと無意味だろう。しかし、無意味だからと言って考えない理由にはならない。だから、こんな時には、なんで生きているんだろうかと心寂しくしながら、行きつ戻りつ迷い道に考える。

 

最も"生きたい"と、その動機付けをしてくれる存在はやはり、愛に向かう心の衝動である。愛は人間の生存に必要不可欠、その完成を夢見る対象である。そこには無類の温かみがあって、存在だけで全てが許される。

 

そこには、生命の全てが内包される。

 

愛。

他人

できることも、できぬことも、きっと皆同じくらい。だから、人が人を馬鹿にすることは、これは愚かに違いない。

 

そのうちに出てくる淡い憧れは、良き友なれど

そのうちに出てくる激しい憎しみは、取り巻く蜘蛛の巣。

 

拭えども、まとわりつく。ただ憎しみと、そこから出てくる尖った言葉とには、少し乖離がある。その間に、私の良心が入り込んできてほしい。ほしいけれど、あんまりにも激しい嫌悪からは、言葉までの間が短い。すると良心の入る隙がなくなる。

 

全てを愛すことはできない。これは、悲しい。

全てを愛すれば、全てを受け入れられよう。

五円玉

レジでお釣りを貰おうとした時、その中に五円玉があったのだが、どうやらその五円玉が汚れていたらしく、レジのおばちゃんが

「あ、これ汚いね、ちょっと待ってね」

と言って、綺麗な五円玉に交換してくれた。それは、とても綺麗な五円玉だった。

 

その五円玉は、宝物になった。

叫び

僕に幸福をください。

 

これが世の中の当たり前なんでしょうか。

 

僕は幸福ではありません。むしろきつく苦しいことばかりが次々と降りかかってくる。これが人間の普通の人生なのでしょうか。

 

周りの人々は、僕よりずっと楽しく生きているように見えます。

 

このきつく辛い試練は、神が、神様が「乗り越えられる」とお思いになって与えたものなのでしょうか。私には、到底乗り越えられるものに思えません。毎日挫折しそうです。

 

神さま、そろそろ私に幸福をください。お願いします。

すぐ人生論

辛いことがあるとき、苦しいことがあるとき、どんなことを考えるだろう。僕はこの頃、そんなときすぐに「生きていこう」となる。生きていればなんとかなる、と。だから死ぬな、と。

 

それは、最高の逃げ言葉だ。でも所詮、逃げ言葉であって、目の前の問題を解決するものではない。

 

僕は、本当に死に直面したことがないから、本当に死を目前にした思考を経験したことがない。きっと、その思考に至るまでには、とてつもなく追い詰められなければならないのだろう。ぼくが経験したことがないほどに。

 

辛い、苦しい、逃げたい。そんなことが立て続けに起こっているように感じる。あぁ幸せだなぁと、いろんな鬱憤を完全に忘れ去った上で心から楽しむことを、感じられてない。そんな感情を忘れかけている、とすらいえる。

 

辛いなぁ。きついなぁ。

でも、せっかくの人生だから楽しまなきゃっ!って。そんなこと思って、辛いことを忘れようと、「生きてりゃ正解!」思考にたどり着く。でも、そんなの既に楽しめてない。楽しまなきゃっ!って思ってる時点で、そこには虚無しか生まれない。

 

誰か僕に幸福をください。

 

 

 

 

幸せと、不幸せ

不思議じゃないか。

どうも、幸せと不幸せは休む暇なく訪れる。総量という点では結局等しくなりそうなものだが、しかし、悪いことが起こると悪いことがどんどん立て続けに起こるような気がする。

幸せはどうだろう。僕はどうも、悪いことばっかり頭に残っていて、幸せはどうだったか、思い出そうとしてもあんまり思い出せない。

だから、僕の人生結局は負なんじゃないかって思ったりする。

 

つい、そういう風に。